私自身のこと

これまでのブログ記事は子供のことと遊びのことが中心。なぜそういう投稿続きなのか,私自身の留学の状況は?ということで,重い腰を上げて,少し自分のことや今回の渡豪目的などについて書こうと思う。

 

私もパートナーも同業で,それぞれ同じ分野の大学院に進学を予定している。

本気で留学準備を始めた2021年4月ころは,全く同じタイミングで通うことを念頭に,2人とも2022年7月からスタートの修士課程コースワーク(簡単に言うと座学,だろうか。研究などをするリサーチコースではなく,講座を履修する形)に出願して受諾されていた。正確にはコンディショナルオファーという「条件付合格」で,入学前までに進学先が要求する英語試験(オーストラリアはIELTSというテストが一般的だがTOEFLなどでもOK)のスコアをクリアすることが条件である。

このコンディショナルオファーを大学院からもらったのが2021年6月。予定では,ここから1年以内で英語スコアを整え,日本での仕事をたたみ,子供たちの学校の算段をつけるなど渡豪準備を進めていこうと考えていて,1年あれば何とかなる,いや何とかしよう,と思っていた。

(結局,1年弱で全ての準備を整えることはできず,仕事の忙しさも相まって英語の条件を達成することも叶わなかった。そこで2023年2月に入学時期を延期した上,パートナーが入学に先行して10週間語学学校に通うことにして,2022年8月末にメルボルンにやってきた。)

 

準備状況に話を戻して。

大人の留学関係,仕事終い関係,家族の生活関係,子供の留学関係,転出転入手続関係…タスクを細かくあぶり出してタイムラインを作り,ひとつひとつこなして準備を進めていく中で,これは一筋縄ではいかないな,ということがいくつか発生してきた。もちろん最終的には全てうまくいって今があるのだが,とりわけ子供たちに適切な環境を整えるための事ごとで悩ましい思いを色々抱え,ストレスフルな日々を過ごした。情報の入手の難しさ,不得手な英語での交渉,コロコロ変わる相手方の対応と見通しすら立てられないスケジュール感の欠如…確信も持てないまま全て手探り,一喜一憂の毎日。

自分自身のことであればもう少し気楽に構えられたかと思うが,子供たちのことに気を抜くわけにはいかない。身軽な単身での留学と,一家での異国への転居とのハードルの違いを,日に日に感じるようになっていた。

そのような日本での準備段階の困難さから,渡豪後のより一層の苦労が容易に目に見えてきて(今振り返ると,やはり日本で困難だと思っていたことなど屁でもないくらい,大小様々な出来事があった…),パートナーと同時に大学院生になるというのはかなりリスキーではないかと考えるようになった。

 

ブログの最初の記事にも書いたとおり,そもそも今回の渡豪は,私自身の夢だった留学と,子供たちに比較的若い時点で世界を見てほしいという私の希望をどちらも叶えようと欲張った企画だ。家族皆で日本を飛び出し,多様性あふれる社会で暮らして,得がたい経験をたくさん積みたい,そう願っている。

snemtea.hatenablog.com

自分だけの満足でなく,月並みだが家族皆の成長と幸せを考えるとき,大人二人が自らの勉学(しかも不得手すぎる英語で)でいっぱいいっぱいになって家族総倒れになることは避けたい。そう考えて,パートナーと進学時期を完全にずらし,私はパートナーが大学院を修了するまで家族のバックアップに全力を注ぐことにした。

このような方針転換で,今,私は学生でも社会人でもなく,メルボルンで家族が生き延びるための舵取りをしている(←大袈裟)。

 

メルボルンに越してきてから,生活のセットアップに苦慮した数か月。しかしようやく皆が無事,予定していた学校に通い始めることができ(パートナーはまだだが間もなく始まる),生活も落ち着いてきて,一段落できたところだ。これから先は,私自身の進学の準備に本腰を入れようと思っている。

まず,大学院の入学時期延期は1年が限度と決まっているようなので,交渉してみて無理であれば再度,2024年2月に入学できるよう出願し直さなければならない。加えて,英語のスコアも達成できていないため,本気モードで勉強せねば。